3月11日の東日本大震災の日に王子から渋谷まで徒歩で行き、日付の変わらないうちに家に帰り着くことができた。都内に向かって歩く人、逆に都内から郊外に向かって歩く人、家族の無事を確認するためか公衆電話に列をつくる人、帰宅することを諦めてカラオケの受付に行列をつくる人であふれていた。学生時代に経験した夜間歩行ほどではないが、照明が暗くて歩道のでこぼこがわかりにくい所が散見された。わずかながらでも歩道を照らす「あかり」のありがたさをあらためて感じながら歩き続けた。道筋には大学などが開放している施設で、私鉄の運行情報が張り出されていたので、幾分安心しながら渋谷に着くと、利用している私鉄の運行が丁度再開されていた。知人の大学では、施設を終日開放して、職員が寝ずに対応したという。道沿いの人たちの思いやりを感じた経験であった。
その後、一週間ほどして、福島の状況がマスコミを占領していたために知ることができなかった栃木など他県での被害も大きく、当研究所と無関係でない状況が生じていることを知った。塗料メーカの工場が被災したり、顔料メーカの被害により原料の調達ができないために塗料の製造ができないという。更に、計画停電の影響で工場の生産効率も落ちており、供給不足の状況が6月から7月ごろまで続くと予想されている。水道水から放射性物質が検出されたというニュースが流れると、あっというまにコンビニやスーパーの棚からミネラルウォーターが消えたように、塗料の在庫を増やすという対処はしないが、色票製作に欠かせない塗料の供給がどのようになるのか、推移を慎重に見守っている。
一方、節電をするために工場や店舗で照明器具を消灯している様子が報じられているが、今夏のピーク時の使用電力を押さえる目的で、行政サイドから作業場の照明の質と量を規定している照明基準(JIS
Z 9110)の照度の基準を低めに改正できないかという声が出ている。JISの原案を作成している照明学会のなかでは、様々な意見が出ているように聞く。
照度の基準は、作業を安心・安全に行うことができるように、長年の研究から設定されている。照度を落とせば、節電になることは明らかにであるが、それと規格の改正とは別のものである。一部の飲食店での状況を見ると、安心して食事をする雰囲気でなく、QOL(生活の質)の低下は否めない。どの場所にどのように照明したらいいかを考えずに、一様に消灯している結果である。被災地のことを考えれば贅沢と言われるかもしれないが、この状況下で専門家に求められるのは、規格の改正でなく、どのように消灯するとQOLを低下することのない節電ができるかを提言することである。例えば、調理を安全に行うには、調理場を一様に同じ明るさにする必要はない。調理する場所を明るくして、必要のないところはやや暗くすれば、全体として節電が可能である。必要な所に必要な明るさで照明するTAL(task and ambient lighting)と呼ばれる照明手法である。照明の量と質のあり方は長年議論されてきた課題であるが、QOLという概念が様々な分野で浸透し、LEDや有機ELという新しい光源の利用が進められている現状と、計画停電・節電・省エネという状況を前にして、質を維持しながら量を減らす工夫が求められる。照明関連JISの制定に関わっている当事者としては、緊急避難的な議論でなく、安心・安全・快適な照明の量と質を考えてみるいいチャンスと考えたい。
ISOに日本から提案した津波の図記号が採用され、津波に対する注意と避難を徹底する機運が高まったおりの想像を超えた大津波であり、図記号を考案に努力した方々の思いも複雑かと想像される。世界的にみても希な大震災に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
〈小松原 仁〉