<巻頭言>コロナ禍の白いマスクに想う
COLOR No.173掲載
早稲田大学名誉教授 早稲田大学常任理事
一般財団法人日本色彩研究所評議員
齋藤 美穂
聞けば既に昨年の12月頃には新型コロナウイルス感染症の大流行に対する危機感は医療関係者の中で広がり始めていたようだが、街を歩く人々が、こぞってマスクをつけて感性予防をし始め、店頭でのマスクの供給が不足し始めたのは、中国の春節が始まる今年の1月下旬あたりからではなかったかと記憶している。その頃から街中の景色も一変した。記録的な猛暑となった今夏の最中でも、マスクをつけている人々を多く見かける。最近のマスクは白だけでなく黒、水色、ピンクなど色とりどりのマスクや、布やレースを使った手作りマスクなども人気で、もはやファッションの一部となっている。イスラエルで制作されたダイヤモンドのマスクが約1億6000万円というニュースにも目を見張った。
海外と比べると日本人が着用しているマスクの色は白が優勢で、それは外国の友人たちからも指摘される。確かに海外ニュースなどで目にする街中での人々のマスクは白が圧倒的に少ない。白いマスクの供給量自体の多さにも依存しているとは思うが、駅の改札口を出る白いマスクの人々の波が印象的にテレビで映し出される度に、やはり日本では白が好まれるのかと頷いてしまう。自分の中で納得が行くのは、長いあいだ日本人の白に対する嗜好を研究している中で、白が日本人にとっては特別に親しみがある好ましい色であることを実感しているからである。白の嗜好が色見本を用いた日本人の色彩嗜好調査で最上位を占め続けたのは数十年前のことではあるが、依然として白嗜好は日本人の中で根強いことを感じている。日本人の白嗜好に対して、社会学や文化人類学の視点からは、太陽信仰とのかかわりや歴史の中で育まれた独特な好みであるなど様々な解釈がされるが、心理学を専門とする私は、「清潔感」との関連性に着目している。色彩嗜好の国際比較調査を行った際、日本人に白を嗜好色に選んだ理由を聞くと、「清潔な色だから」という答えが少なからず返ってきた。それは、欧米はもとより、同じく白を好むアジア地域でも得られない独特な答えであった。コロナ禍のもっと前から、日本人は日常的によく手を洗い、除菌製品も非常に多く、清潔感への意識の高さは突出していた。清潔感と直結する白いマスクが多くなるのも無理からぬことだと思われる。ただ、白いマスクを選ぶ理由は単に清潔な色というだけではないように感じる。それは先ほどの調査時に、清潔感の他に日本人に特徴的な選択理由の一つであった「無難な色だから」という心理も関係しているように思える。就活中の学生たちのリクルートスーツも他の人と同調する無難な色であり、同じにしておけば「難を逃れる」という心理がうかがえる。多くの人が着用する白いマスクはそういう意味でも無難で安心感があるのだろう。
冬になると風邪予防のためにマスクをつけることの多い日本人にとって抵抗はないかも知れないが、人とのコミュニケーションに重要な役割を果たす「口」を覆うことになるマスクの着用は欧米ではかなりの抵抗感があるらしい。以前からヨーロッパではマスクをしている人は「病気を持っている」という偏見があり、私もだいぶ昔に喉の乾燥を嫌って飛行機の中でマスクを着用したら、隣の外国人に怪訝そうな顔をされたのを思い出す。ただコロナ禍は世界中でマスクに対する認識を変えつつある。音楽ビデオの祭典に個性的なマスクを着用して出演したレディーガガの「マスクをしてください。マスクは敬意の表れです」という言葉は印象的だ。相手に敬意を払い、頭を下げてお辞儀をし、感謝と思いやりの心を持って接することを是とする日本文化では、他者への感染予防にも心を配れるマスクは自然と馴染むのかも知れない。