くろやくろ くろぐろぐろや
COLOR No.146掲載
あかやあか あかあかあかや、とただひたすら「あか」を重ねた明恵上人の歌がある。この伝でいえば、現代日本女性の装いは、まさに黒や黒で、流行の域を超え、黒はスタイルとして定着している。しかし、私の年齢になると、黒のスーツを着たOL風の女性が何人か集まっているところに出会すと、つい社葬か? と思ってしまう。
【女性服装色の定点観測】
日本色彩研究所では、1955年以来半世紀を超えて、女性の服装色を測定し続けてきた。東京・銀座への来街女性について、四季ごとに視感測色するわけである。50年を経たところで、目下このデータにさまざまな統計解析を加えている。服装色はどのような軌跡をたどってきたか、進んでは色を社会現象としてとらえた場合に時系列変化にはどのような法則が成り立つか、など。このように長期にわたる客観的なデータは、世界的にみても貴重である。
このデータでみると、黒の普及率は昨年秋ついに30%を超え、冬では34%に達した。50年間、このように高率をみせた色は皆無である。分析では、色立体を25ブロックに区分しているから、もしそれぞれの色が均等に着られていたとすれば4%である。スサマジい寡占状態を呈している。図に示したように、黒の増加は1980年代に始まっており、減少の兆しは今のところみえない。
【赤・緑・青を食って、伸びた黒】
増える色があれば、当然減る色もある。黒と逆相関しているのは、赤・緑・青の三原色。別の見方をすれば、両者は補い合う関係にある。したがって黒は、赤などと同様に強烈な個性をもつ色として愛用されていることになる。強く主張する色、そうした面があることは確かだろうが、視点を変えてみた方がよいところもある。
私の近くにも、好んで黒を着る学生がいる。よく似合って可愛いのだがつい、まるで魔女みたい、雨の日はホーキに乗って来るのも大変でしょう、とからかったら、ひんしゅくを通り越してにらまれてしまった。
マイ黒、私のアイデンティティを傷つけてしまったのだろう。赤チャンが生まれたら、やはり黒のベビー服ですかとはとても云えなかった。接触量が好みをつくるという理論からは、そうなるはずなのだが。とはいえ、そのひとを見ていると、黒は黒でも素材や形態をかなり多様に使い分けているようである。色は黒でも、さまざまに演出している。黒は、ある意味で背景になっているのかも知れない。あるいは、素材や形態を生かす色という効用から黒が選ばれているのだろうか。もっといえば、色離れの結果としての黒。しかし、この黒と社葬型や就職活動で女子大生が着る黒とは、同一視できまい。”皆が着ているから”の社会の大勢に協調する、社会規範を忠実に守る証としての黒ではないか。
ほかに、黒のイメージや心理的意味からの分析も可能だが、ここではふれない。ただ、黒の大量使用は、以上のいずれかひとつによるわけではなく、複数の要因が効果して生じたと考えるべきだろう。もうひとつ、とかく非日常とみられがちであった黒に日常性が付与された意味は大きい。黒にも、さまざまな黒がある。とはいえ、個性的に生きよう、自分らしさをもって、という社会思潮のなかで、30%とは・・・。現代日本人は画一性を好むのか。
【風が吹けば桶屋が儲かる】
色の増減と他の社会現象との関係も、しばしば云々されるが、今のところよく分からない。黒の増加と相関する社会指標はいくつも見出される。たとえば、死因のなかでの不慮の事故比率。鎮魂の黒?国内石炭産出額とは逆相関する。黒ダイヤが減って黒が乏しくなったから、補完のための黒?社会保証関係総費用、果物輸入量、等々。風が吹けば式のこじつけはできようが、心理統計の本で相関があれば因果関係があるとみなしてはいけませんよと教えるための事例になりそうである。おそらく、いくつかの指標を合成し、さらに心理的変数を介在させたうえで、世相と色とのかかわりをうかがうことになるだろう。
〈近江源太郎〉
なお、女性服装色50年の変遷をまとめた資料集『ファッションカラートレンド50年』は、2007年11月より頒布されています。