<巻頭言>P.D. シャーマンによる書籍「19 世紀における色覚」のご紹介
COLOR No.172掲載
一般財団法人日本色彩研究所評議員
筑波大学名誉教授
金子 隆芳
今回、本欄をお借りするに当たって勝手ながら文献の紹介をさせていただくことにした。本書は長年、筆者の書斎に眠っていたものであるが、筆者の購入ではなく、さりとて蔵書印など、所有者の手がかりもない。他に考えられるのは誰かのプレゼントの可能性で心当たりもあり、今ではそう思っている。内容は目次の通りで、現代色彩学の黎明期のイギリスに限られる。尊敬すべきライト博士の序言が秀逸であるが、肝心の著者のアカデミックな背景情報がないのが物足りない。関連する学会誌の引用文献などに本書名を見ることもない。しかし本書の目次から直ちにいえるのは、「これは実験心理学だ!」ということ、そして大学の実験心理学講座に所属する筆者には、これは「読まざるべからず!」の必読書でもある。というわけで、実は筆者も何度か紐解いたことはあるのだが、難解なため挫折してきた代物である。
〈ライト博士の序言〉
私は本書を楽しく読んだが、もし他の読者におかれてもそうであったら本書は間違いなくベストセラーになるだろう。著者シャーマンの語り口は魅力的であり、色覚研究のヤング・ヘルムホルツ・マックスウェル学派の、より新しく、より真実の姿を伝えている。(19 世紀の巨星といえばゲーテなどもそうだが、本書には登場しない。)
理論物理学や光学へのマックスウェルの業績は数多く、それゆえにしばしばヘルムホルツのそれと混同されることもある。今や本書を手にするに及んで、科学的概念や思想のクレジットは、帰すべきところに帰すことになろう。グラスマンもまたその所論は難解であったが、それなしに現代色彩論は成り立たない。物語は進んで話はウォラストン他あまり馴染みのない人に及ぶ。一読して改めて感じるのは、科学は前方や上方に前進するとは限らないということで、このような歴史的研究は誤った路線と実のない議論の反省資料である。ここには我々の学ばねばならぬレッスンがある。
〈本文目次〉
1. トーマス・ヤングと三色視に関する彼の推論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1
2. 色フィルターによるスペクトル分析とブリュウスター ・・・・・・・・・・・・ 20
3. ブリュウスターとの論争の結末・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 43
4. 原色と色の体系・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 60
5. ヘルムホルツと原色問題への新たな洞察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 81
6. グラスマン;色の数量的理論に向けて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 93
7. カラー・ブラインドネスの発見・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 117
8. クラーク・マクスウェル;近代的方法の始め・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 153
9. マクスウエルの更なる貢献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 184
文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 223
索引・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 231
〈本文著者まえがき〉
色覚問題に対する関心は科学者であるなしに関わらない。アリストテレスの昔からシュレジンガーに至るまで、物理学者も生理学者も、芸術家も哲学者も、色となると皆、一家言あった。その問題の折衷性と伝統超越性の魅力の然らしめるところである。それにしても色覚論史の多くは物理学の範疇に入るものであったことは注目すべきで、本書でも述べる ように1800AD から1860AD のこの時代、ThomasYoung , Hermann von Helmholtz,James Clark Maxwellらの物理学的業績によって、色覚の未熟な科学に新たな近代科学の成立を見た。
物語は1801、ヤングのいわゆる色覚の3 原色理論に始まる。ヤングの時代、3原色の概念は一般に受け入れられていたが、それは科学というよりは民話であった。ドイツの数学者であり哲学者であったグラスマンによってそれが事実的に証明されたのは半世紀後であった。当時、太陽スペクトルの研究で著名なブリュウスターとの有名な論争があって結局 ブリュウスターは敗北した。その決定的理由はブリュウスターにおいて加法混色と減法混色の区別がなかったことにある。(以下続きは未読了)
Paul D Sherman: Colour Vision in Nineteenth Century. Adam Hilger 1981, 231pp.