50人のわたし〈児玉晃の自画像展〉を見て
COLOR No.162掲載
児玉晃さんは日本色彩研究所に長年勤務され、色彩設計、色彩調和などの研究をされてきましたが、2011年1月に病気のため81歳で永眠されました。
私が児玉さんに最初にお会いしたのは1980年の冬。私の就職活動中、出身校にスカウトに来ていただき色研を紹介されました。それ以来のお付き合いです。
このほど自画像展を開催されるとのことでご案内をいただき、新潟の会場に伺いました。
会場は新潟市内の「砂丘館」という、旧日本銀行新潟支店長役宅で、昭和初期に建てられた一部洋間もある近代和風住宅です。80年以上、実に大切に使われてきた趣のある建物です。
児玉さんは元々絵画を趣味とされ、ご自宅には大きなアトリエもお持ちで、研究者としての児玉さんと画家としての児玉さんの両側面を持っているような方でした。
色研を退職された後も講師として色彩と深いつながりをお持ちでしたが、十数年前からアレルギー性肉芽腫性血管炎(チャーグ・ストラウス症候群)という難病を患い入退院を繰り返す生活となりました。
20代の頃からの自画像も描いてはいたものの、難病を発症した頃から、自分自身の表情、身体の変化を絵に託すことを始められたそうです。今回の展覧会の大部分の作品はこの晩年の十数年間に描き続けた自画像です。
砂丘館には沢山の日本間、洋間があり、各部屋、廊下など至るところに児玉さんの作品が展示されています。その表情は実に多彩で、本当に児玉さんに見られているような錯覚を覚えます。自画像だけでこれほど多くの作品を見るのは初めての経験でした。
中でも印象に残った作品は、色研での職場でよく見かけた黒いチョッキ姿の児玉さんでした。いつもの穏やかな児玉さんという感じがし、またとても懐かしく思えました。
もう一つは「退任」という作品。色研を退職する頃描かれたものですが、他の作品とは異なり筆のタッチが直線的で、お気に入りのネクタイを身に着け若々しく堂々としている感じ、これからの新たな生活に対しての意気込みのようなものが伝わってきました。
やがて年齢とともに病が進む中、自身の身体の変化、表情の変化をしっかりとした筆遣いで描いていました。老いて行く自分の姿、杖をつく姿にも、細くなった手や足の表情から一生懸命に立っている姿が伝わってきます。晩年では片方の視力を失いつつも、それでも懸命に自分自身を描き続け ています。
職場での穏やかな児玉さんとは打って変わって、絵の中の児玉さんは実に表情豊かで、一瞬見るとギョッとするような普段は見せない奇抜な表情、時には裸になり、デフォルメした身体なども多数あり驚かされました。
今回、児玉さんと親交のあった砂丘館館長の大倉宏様と児玉さんの奥様の美子様のご協力により、画集「50人のわたし 児玉晃の自画像」が出版され、刊行記念としてこの展覧会の開催となりました。
私が訪れた10月26日(日)には美子様と大倉様とのギャラリートークも行なわれ、児玉さんに縁のある方や地元の方など多数が訪れていました。
闘病生活の中、自画像の作品制作の陰には美子様のお力添えも多く、これだけのすばらしい作品が出来上がったようです。
■展覧会 「50人のわたし 児玉晃の自画像展」
開催日:2014年10月9日(木)~11月9日(日)
会場:砂丘館 新潟市中央区西大畑町
■画集 「50人のわたし 児玉晃の自画像」
発行者:児玉美子 編集:砂丘館
2014年10月1日発行
〈総務部 島津智明〉