一般財団法人日本色彩研究所

楽しい? 面白い?

pen COLOR No.158掲載

好きな、美しい、よい、魅力的な、素晴らしい、きれいな、快いなどなど、色の印象調査には、こんな評価用語がしばしば用いられる。デザインについてのマーケティング・リサーチであれば、このうち「好きな色」が妙に注目され、消費者心理をさぐる手がかりにされてきた。消費者は自分の好きな色を買うはずであるから、それを調べてみよう、という論理である。けれども、購買心理はそれほど安易なものではない。調査の結果は、その時点での普及状況に近似した傾向を示す例が多い。これを、消費者の好きな色が既に普及していると解釈するのは、チト楽天的にすぎる。消費者に創造性を求めるのは無謀で、彼らの判断は現状に規定されており、順応水準の反映に過ぎないと解釈したい。

オスグッドのSD法は、色の印象調査でもおなじみである。好きなー嫌いな、美しいー醜い、よいー悪いなどと、片端から尋ねてみればどこかにお宝が眠っているのではないか、というわけである。
けれども、こうした多角的な印象の測定結果について因子分析をすると、冒頭に列挙した一群のことばは、同一因子に集約されてしまう。つまり、表現する語彙こそ異なっても、基本的な判断軸は同じ、という指摘である。評価性因子あるいはヘドニックトーン因子などと称される。巨視的にみれば、潜在する価値判断の基準は、一元的である。多少のスペキュレーションを加えれば、人類というか動物は、遭遇する場面に応じて、より生存に益する対象、餌や快適性をもつ対象を選好し、危害を加えそうな物を排除する。その基準の展開型が評価性尺度群であるとみなしたい。人類は言語を操るから、状況によって微小な違いを言い立て、使い分ける。お見合いで断るときの差し障り無いことばは、「とてもよい方ですが、私にはどうも……。」だそうだ。「よい方」なら一緒になるべきだ!は、ヤボである。
何よりも、好きな色は?と訊ねた結果を三属性の空間において法則化して、人々の選択行動を直接推測しようという想定には限界がある。

そこで視点を変えて、色と行動との間にワンクッションおいた発想を採ってみる。例として「面白い」と「楽しい」とを取り上げる。ともに評価的な判断ではあろうが、少々異端、異質なところがある。評価性因子ないしヘドニックトーン因子に包括されるという報告と否とが対立しているからである。
感情についての認知評価モデルから検討してみる。このモデルは、事象(例えば色でもデザインでもよい)と、それに接して生じる感情との間に「認知的評価cognitive appraisal 」と称する心理メカニズムを仮定する。appraisalは、鑑定、品定めを意味し、直面している事象を素早く認知的に判別して感情の手がかりにすると考える。新奇性、複雑性、快、動機づけ、その他の次元が挙げられている。
この考えに沿った報告*1(筒井, 2010)を紹介する。油絵について、まず、好きな、美しい、偉大ななど美的な評価を求める。他方で、同じ作品に対して快、新奇性、動機づけなどの認知的評価次元について、各々5項目の質問にもとづいて得点化した。
さらに、楽しさ、面白さをそれぞれ従属変数、認知評価次元を独立変数として重回帰分析をすると、次のような特徴が浮かび上がってきた。
楽しさも面白さもともに新奇性(奇妙、見慣れないなど)は大きく寄与していた。つまり、目新しさは、両感情に共通して作用する要因である。ところが、動機づけ(もっと知りたい、興味がもてる)は、双方の感情を規定しているものの、影響の仕方は正負逆転していた。端的にいえば、楽しさは受動的な、面白さは能動的な感情である。また、快は楽しさにのみ寄与していた。

これを色に当てはめるとどうか?珍しくて、気持ちいい色や配色に出会うと楽しくなる。妙に考え込まされないほうが楽しい。遊園地や新装開店のお店に入ると楽しくなって、つい散財する。逆に、見慣れて平凡、かつ快感をともなわない色に取り囲まれると、格別楽しいという気持ちは起こらない。住み慣れた味気ない自室に帰ると、楽しさは感じまい。そこで、花を飾ろうか、カーテンを替えようかと楽しさを求める。付け加えれば、快は、おそらくこれまで大量に蓄積されてきた色の好き嫌い調査の一部から説明できよう。そこに新奇性をもたせるには、変化を加えるしかない。典型的には流行である。
他方、面白さには、快か不快かは無縁である。見慣れない、意外性が高いことは必須の条件であるが、加えて、これはナンだ?と興味をそそられること、もっと知りたいと意欲を掻き立てられること。
ここで、色の効用について考えてみる。「色は人の感情にはたらきかける」といわれる。この場合の「感情」は、楽しさであろう。が、楽しさは受身の感情であって、面白さのように主体的な何だ?何故だ?と、興味を誘われるわけではない。身も心も委ねて、いい気持ちに浸っていられれば、よいのである。加えて、色のみから面白さを演出することは難しいのではないか。そこに、色の効用と限界とがある。

〈近江源太郎〉

*1 筒井亜湖, 「美的判断の規定要因に関する認知的評価理論にもとづく研究」, 女子美術大学大学院美術研究科博士論文, 2010