<研究2部報>雑感:「目の発達と大陸移動説」
COLOR No.145掲載
目の発達と大陸移動説に深い関係があると聞いて、皆さんはどのように思うであろうか?
先日、NHK教育テレビで「地球大進化 第5集-大陸移動、目に秘められた物語」という番組の再放送を見た。エジプトのサハラ砂漠で、最近になって発見された霊長類化石・カトピテクスの頭蓋骨に関する話題であった。その内容から感じた事を書いてみる。 恐竜絶滅後の温暖な地球には、一面に広葉樹が生い茂っており、緑の楽園があった。広葉樹は横方向に枝を伸ばし、隣の木々と重なり合って樹冠と呼ばれる森を形作る。針葉樹は縦方向へ伸びる為に、木々の重なりは無く、このような樹冠は形成されない。
人間の先祖は、この広葉樹による樹冠の中で生活を営み、木々のつける果実を生きる糧としており、危険な動物のいる地上に降りる事無く、豊かで安全な日々を送っていたのである。このときは、まだ十分に視覚機能が発達していなくても、十分に生きてゆく事が出来た。 ところが、温暖な地球はやがて寒冷化へと進んだ。大陸移動がその大きな原因であった。陸地が一つの地続きであった頃、赤道上からの暖かい暖流が南アメリカの沿岸沿いに降りて来て、南極大陸までもが暖かい温暖な場所であった。やがて、南極大陸と地続きであったオーストラリや南アメリカが、大陸移動により分離された。すると、南極大陸まで降りて来ていた暖流が寸断された。南極大陸は、周局流と呼ばれる冷たい海流が渦巻くようになり、次第に寒冷化した。4500~3300万年前の事であった。この影響は地球全体に及び、温暖な熱帯の森の範囲が縮小していった。当然、食物も入手が困難となった。この結果、人間の先祖が生き残る手段として、地上に降りる必要に迫られた。地上に降りれば、肉食獣などに襲われる危険なども増える。そして、そのような環境に適応して生き残りをかけた目の発達が始まった。
【図1.南極周辺の海流変化】
下部中心が南極大陸。大陸移動前、左に南アメリカ・右にオーストラリアが連なり、南アメリカ沿岸の暖流が流れ込む。大陸移動後、南極は孤立し寒流が周局流として取り囲む。(上図が大陸移動前、下図が大陸移動後。 太線矢印が暖流、細線矢印が寒流。)
この頃に生活していた人間の先祖は、カトピテクスと呼ばれる霊長類である。頭蓋骨の目の部分には、それまでの霊長類にはなかった「眼窩後壁(がんかこうへき)」が存在するようになった。実は、この眼窩後壁こそが、目の発達に重要な働きを持っている。眼球をしっかり支えているのだ。これが無いと、眼球は支えが無いために不安定に動いてしまい、きちんとした像を結ぶ事が出来ない。ちょうどカメラが手ぶれによりボケてしまうのと同じ状態なのだ。きちんとした写真を撮るには、両手でしっかりとカメラを支えて動かないようにするか、三脚に乗せてとる必要がある事を考えればお分かりになるであろう。
眼窩後壁の支えにより、目の中心で確実に光を捉える事が出来るようになった。目は球状をなす眼球と呼ばれており、角膜を通った光はその奥にある網膜上に像を結ぶ。網膜上には、光を捉える働きの視細胞が存在しており、これにより物を見る事が出来るようになった。網膜上にきちんと物が映し出されるようになると、視細胞の増加が始まった。視細胞の増加により、それまでのボンヤリとボケた見えから、ハッキリと物を見分けられるようになった。生き残りの為に必要となる食物が、より確実に得られるようになったのだ。
【図2.眼窟後壁】
原猿は、眼窩後壁を持たない(単なる目の穴。)真猿である人間は、斜線部の眼窩後壁により眼球が保持される。(人体における頭骨・右眼窩正面図。斜線部が眼下後壁。)
食物の獲得は、それまで食していた果実にとどまらず、ついには肉食にまで及んだ。地上では、肉食獣が生活を営んでいた。この、肉食獣が食べ残した肉片までも食べるようになったのだ。高エネルギー源である肉片のタンパク質により、人間の脳は次第に大きくなっていき、我々現代人へと受け継がれてきた。
色覚について追記する。これには、霊長類の二大分類を知る必要がある。原猿亜目と真猿亜目であり、眼窩後壁が原猿には存在しないが真猿はこれを持つ。昼行性の原猿は青と緑の二種類、真猿は青と緑と赤の三種類の錐体を持つ。カトピテクスには眼窩後壁があることより、三錐体を持つ真猿である事が類推される。これは、減少した果実を見分けるのに有利な進化であると言える。
大陸移動による南極大陸の寒冷化、気候変化による広葉樹林の減少が促した人間の目の発達について、このような視点から考えるのは興味深いものであった。カトピテクスの化石発見による新たな学説として、今後の展開が楽しみである。
〈研究第2部 那須野信行〉